『外郎売の口上』蛇足       
                               
                                             1期  杉山幸男

 1月24日のアドの会新年会で、私が披露した『外郎売の口上』に対し望外のご好評をいただきホッとし、嬉しくなり、そして10分近くの長口舌をご静聴くださった皆さんにただただ感謝しています。ほんとうに有難うございました。

 司会の渡邊さん、マイクの碓井さんにはご迷惑をかけました。
 くじ引きの景品の説明をすると称して、――確かに景品はほんものの『ういろう』を提供したのですが――スグに『外郎売の口上』を始めてしまいましたので、ちょっとHPの場をお借りして蛇足かも知れませんが補足説明をさせていただきたいと存じます。

 1.『外郎家』と薬の『ういろう』、菓子の「ういろう」
 日本の足利時代、元の順宗皇帝に仕えていた陳延祐が元の滅亡とともに日本に帰化し、陳外郎(ちんういろう)と名乗った。これが『外郎家』の始まり。
 2代目・宗奇は京都の朝廷に仕え、家伝の薬「霊宝丹」がそこで珍重されたので、明に渡り、その処方を持帰った。これが薬の『ういろう』であり、後に天皇から『透頂香』すなわち「頂(いただき)を透(とお)して香(かお)る」の名を賜った。
 宗奇はまた外国信使接待の折には自ら菓子を造って供していたので評判になり、それが菓子の「ういろう」となった。

 5代目・外郎宇野藤右衛門定治(とうえもんさだはる)は、小田原を平定(1495)した北条早雲に招かれ、朝廷との外交役となったが、それ以来、薬の製法は小田原の『外郎家』が一子相伝として現在に伝えている。市販し始めたのは、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、『外郎家』が野に下ってからとのことである。
 一方、京の『外郎家』は、足利氏の室町幕府と共に兵火にかかり世継ぎもなく絶家し、菓子の製法は職人等によって全国に広まった。

 現在も、24代目・外郎藤右衛門康祐氏が、北条時代の八つ棟造りを鉄骨鉄筋コンクリート工法によって再現して、小田原で営業を続けている。(株式会社組織、店は1箇所、薬は店頭販売のみ)

 
2.歌舞伎十八番『外郎売』
 享保3年(1718)正月 2代目市川団十郎 森田座にて自作自演。
 持病の咳と疸で苦しんでいた団十郎が、この薬を服用することによって舞台生命を維持できたことから、お礼の気持で創作・上演した。
 曽我もの(父の仇・工藤佑経を探し、討つ一連の物語)の中の一幕物、曽我五郎が『外郎売り』に身を変え、佑経を探し追うという筋書きの芝居。その中で『外郎売の口上』が演じられる。
 現実には過去『外郎家』の薬は行商された事実はない。

 3.蛇足の蛇足―私と『外郎売の口上』との関係

 
出会い:1980年、50歳の時、それまで観るだけだった演劇(新劇・アングラ・小劇場等)について、実技をやればもっと理解が深まるのではないかと、実技の講座に足を踏み入れた。文学座の演出家が講師だったが、講座の最初に渡されたのが、『外郎売の口上』のコピーだった。

 それから週1回の講座は、毎回受講生同士勝手に2人づつペアになって、教室のあちこちで言葉の意味も解からぬまま大声を張りあげワアワアとこの『口上』の暗誦の競い合いから始まる。基礎過程の2,3年ぐらいの間は、それでも若い仲間と張り合いマジメに声を出して暗誦していた。しかし、戯曲を採りあげ「役」を振り当てられ、上演めざしての稽古が多くなってくる頃からは、自分のせりふを覚えこむのに精一杯、『外郎売』どころではなかった。

 
隠し芸?:カラオケ嫌いで歌が歌えない私としては、この『外郎売の口上』を自分の隠し芸として持てたら……、という気持が出てきた。だが、演劇講座では滑舌のために唱えさせられたのであって、緩急や振り付けまでは指導してくれない。

 1985年春、十二代団十郎の襲名披露舞台で『外郎売』を公演するという広告を見た。コレゾ、学ぶ(マネぶ)チャンス!と、『口上』全文をしっかりと頭に叩き込み、歌舞伎座に出掛けた。だが舞台の上の団十郎先生、貫禄充分堂々と床机に腰をおろして、途中省略した『口上』を適度?の早さで捲くして終わった。私にとってはアッと言う間の見学だった。

 後は自分で考え、やるしかない。俺だって団十郎よりは面白くできるぞ。その後、飲んだ勢いで二、三回、人前で試みてみたが、すべて途中で台詞に詰まって失敗。アルコールが入ると、気は大きくなるが、頭の働き、口舌の神経は狂って鈍くなるということを身をもって学んだ。

 
覚えなおし:昨2006年2月の誕生日、「来年は77歳、もし喜寿の宴でもあったらイッパツこれでも披露して、まだボケていないところを見せてやろう。」こう思い立って、ひそかに覚えなおすことにした。家人にも知られたくないので、ぬるめの風呂にゆっくり浸りながら、小声でボソボソ唱える。宴席を白けさせないためには、少しでも早口でと一本調子になりがちだったのが、毎日繰返して、言葉が自然に出るようになると、文言・文節の意味に従って緩急の付け所が見えてくる。湯舟のなかで振り付けまではできないが、体の動きも多少は頭に浮かんで描けてくる。
 一方、座興のためには、本物の薬の『ういろう』もなくてはならぬ。12月某日、小田原に「八方が八つ棟、表が三つ棟、玉堂造り」の店を訪ねて一箱、二箱手元に備えた。

 
アドの会新年会:新年会の数日前、別用でBAA事務局に立ち寄ると、新年会の幹事が打合せをしている。「杉山さん、乾杯の発声をお願いします。」「OK,でも俺もマンネリだな。」
「お年玉くじ引きを予定しています。景品の提供を歓迎しますヨ。」「うへーッ。」

 こんな内容の会話を、帰りの電車の中で思い出し、「ヨシ!景品に『ういろう』を出し、乾杯の挨拶代わりに『外郎売の口上』をやってやろう。」と心に決めた。

 当日は、「出演する1時間前からは、腹に溜まるものを口にしてはいけない」という演劇の先生のかつての教えと、わが身で悟ったアルコールの悪影響とを肝に銘じ、幹事自慢の安くて旨いご馳走もほとんど手付かず、酒は焼酎10倍に薄めた水割りだけでさりげなく過ごす。出番が近づくと、ポケットに忍ばせた『ういろう』ならぬ「龍角散ののど飴」を一粒たまらずソッと口に入れた。

 結果はご覧いただいた通り、発音や所作に2,3不満な点はあったが、素人の隠し芸としては大方のご評価はいただけたのではないだろうか。今後、年寄りの長風呂の中でさらに磨きをかけて、年をとっても成長できるという「ビューティフルエージング」の範を示すか? いや、いい気になっていずれ老醜をさらす羽目になることのないよう、過日の皆さんの拍手を有難い思い出として心に納め、あとは心置きなく酒食に手を出せる乾杯発声係に専心することにしよう。年をとったら、「引き時」を知ることが大事だ。

 
最後の蛇足――ちなみに、私の演劇修行は満70歳をもって、きっぱり止めました。せりふ覚えが若い仲間に付いていけなくなったからです。
 77歳を直前にして『外郎売の口上』を皆様の前で述べさせていただけで満足いたしました。
 どうも有難うございました。
                                           (07.2.4)

 〔参考〕
 
外郎売りのせりふ :. 「外郎売りの台詞」は、俳優・アナウンサー・日本語教師などの間では、滑舌の練習としてけっこう有名なものです。この台詞は、歌舞伎十八番の一つで、「我こそは」と関心のある方は、次の「全文」をご参照下さい。
 小田原の外郎家で配布してる資料と少し異なっている言葉――例えば「干しだこ」か「一丁だこ」とかもありますが、300年近くのむかしからの言い伝えですから幾通りかの台本があるようです。
 外郎やその口上に関しては、インターネットで調べても、いろいろ判ってきます。「全文」も下記以外にも載せられているのではないでしょうか? (杉山)
 

拙者親方(せっしゃおやかた)(もう)すは、お立合(たちあい)(うち)に、御存(ごぞん)じのお(かた)もござりましょうが、お江戸(えど)()って二十里上方(にじゅうりかみがた)相州小田原一色町(そうしゅうおだわらいっしきまち)をお()ぎなされて、青物町(あおものちょう)(のぼ)りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤衛門只今(らんかんばしとらやとうえもんただいま)剃髪致(ていはついた)して、円斉(えんさい)となのりまする。元朝(がんちょう)より大晦日(おおつごもり)まで、お()()れまするこの(くすり)は、(むかし)ちんの(くに)唐人(とうじん)外郎(ういろう)という(ひと)、わが(ちょう)(きた)り、(みかど)参内(さんだい)(おり)から、この(くすり)(ふか)()()き、(もち)ゆる(とき)一粒(いちりゅう)ずつ、(かんむり)のすき()より()()だす。()ってその()(みかど)より、とうちんこうと(たま)わる。(すなわ)文字(もんじ)には「(いただ)き、()く、(にお)い」とかいて「とうちんこう」と(もう)す。只今(ただいま)はこの(くすり)(こと)外世上(ほかせじょう)(ひろ)まり、方々(ほうぼう)似看板(にせかんばん)(いだ)し、イヤ、小田原(おだわら)の、灰俵(はいだわら)の、さん(だわら)の、炭俵(すみだわら)のと色々(いろいろ)(もう)せども、平仮名(ひらがな)をもって「ういろう」と(しる)せしは親方円斉(おやかたえんさい)ばかり。もしやお立合(たちあい)(うち)に、熱海(あたみ)(とう)(さわ)湯治(とうじ)にお()でなさるるか、(また)伊勢御参宮(いせごさんぐう)(おり)からは、(かなら)ずお門違(かどちが)いなされまするな。お(のぼ)りならば(みぎ)(かた)、お(くだ)りなされば左側(ひだりがわ)八方(はっぽう)()(むね)(おもて)()棟玉堂造(むねぎょくどうづく)り、破風(はふ)には(きく)(きり)のとうの御紋(ごもん)御赦免(ごしゃめん)あって、系図正(けいずただ)しき(くすり)でござる。

 イヤ最前(さいぜん)より家名(かめい)自慢(じまん)ばかり(もう)しても、ご存知(ぞんじ)ない(かた)には、正身(しょうしん)胡椒(こしょう)丸呑(まるのみ)白河夜船(しらかわよふね)、さらば一粒食(いちりゅうた)べかけて、その気見合(きみあ)いをお()にかけましょう。()ずこの(くすり)をかように一粒舌(いちりゅうした)(うえ)にのせまして、腹内(ふくない)(おさ)めますると、イヤどうも()えぬは、()(しん)(はい)(かん)がすこやかになりて、薫風咽(くんぷうのんど)より(きた)り、口中微涼(こうちゅうびりょう)(しょう)ずるが(ごと)し。魚鳥(ぎょちょう)(きのこ)麺類(めんるい)食合(くいあ)わせ、()(ほか)万病速効(まんびょうそっこう)ある事神(ことかみ)(ごと)し。さて、この(くすり)第一(だいいち)奇妙(きみょう)には、(した)のまわることが、(ぜに)ゴマがはだしで()げる。ひょっと(した)がまわり出すと、()(たて)もたまらぬじゃ。

 そりゃそりゃ、そらそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ。アワヤ(のど)、さたらな(した)に、カ()歯音(しおん)、ハマの二つは(くちびる)軽重(けいちょう)開合(かいごう)さわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろを、一つへぎへぎに、へぎほしはじかみ、(ぼん)まめ、盆米(ぼんごめ)(ぼん)ごぼう、摘蓼(つみたで)摘豆(つみまめ)、つみ山椒(ざんしょう)書写山(しょしゃざん)社僧正(しゃそうじょう)粉米(こごめ)のなまがみ、粉米(こごめ)のなまがみ、こん粉米(こごめ)小生(こなま)がみ、繻子(しゅす)ひじゅす、繻子(しゅす)繻珍(しゅちん)(おや)嘉兵衛(かへい)()嘉兵衛(かへい)(おや)かへい()かへい、()かへい(おや)かへい、ふる(くり)()古切口(ふるきりぐち)雨合羽(あまがっぱ)か、番合羽(ばんがっぱ)か、貴様(きさま)のきゃはんも皮脚絆(かわぎゃはん)我等(われら)がきゃはんも皮脚絆(かわぎゃはん)、しっかわ(ばかま)のしっぽころびを、三針(みはり)はりながにちょと()うて、ぬうてちょとぶんだせ、かわら撫子(なでしこ)野石竹(のせきちく)。のら如来(にょらい)、のら如来(にょらい)()のら如来(にょらい)()のら如来(にょらい)一寸先(ちょっとさき)のお小仏(こぼとけ)におけつまずきゃるな、細溝(ほそどぶ)にどじょにょろり。(きょう)のなま(だら)奈良(なら)なま学鰹(まながつお)、ちょと()五貫目(ごかんめ)、お茶立(ちゃだ)ちょ、茶立(ちゃだ)ちょ、ちゃっと()ちょ茶立(ちゃだ)ちょ、青竹茶筅(あおだけちゃせん)でお(ちゃ)ちゃっと()ちゃ。

 ()るわ()るわ(なに)()る、高野(こうや)(やま)のおこけら小僧(こぞう)狸百匹(たぬきひゃっぴき)箸百膳(はしひゃくぜん)天目百杯(てんもくひゃっぱい)棒八百本(ぼうはっぴゃくほん)武具(ぶぐ)馬具(ばぐ)、ぶぐ、ばぐ、()ぶぐばぐ、()わせて武具(ぶぐ)馬具(ばぐ)()ぶぐばぐ。(きく)(くり)、きく、くり、三菊栗(みきくくり)()わせて(きく)(くり)六菊栗(むぎくくり)(むぎ)、ごみ、むぎ、ごみ、()むぎごみ、()わせてむぎ、ごみ、()むぎごみ。あの長押(なげし)長薙刀(ながなぎなた)は、()長薙刀(ながなぎなた)ぞ。()こうの胡麻(ごま)がらは、()のごまがらか、()ごまがらか、あれこそほんの真胡麻殻(まごまがら)。がらぴい、がらぴい風車(かざぐるま)、おきゃがれこぼし、おきゃがれ小法師(こぼし)、ゆんべもこぼして(また)こぼした。たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりから、ちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ一(ちょう)だこ、()ちたら()()お、()ても()いても()われぬものは、五徳(ごとく)(てっ)きゅう、かな熊童子(くまどうし)に、石熊(いしくま)石持(いしもち)虎熊(とらくま)(とら)きす、(なか)にも、東寺(とうじ)羅生門(らしょうもん)には、茨木童子(いばらぎどうじ)がうで栗五合(ぐりごごう)つかんでおむしゃる、かの頼光(らいこう)のひざもと()らず。

 (ふな)、きんかん、椎茸(しいたけ)(さだ)めて後段(ごだん)な、そば()り、そうめん、うどんか、愚鈍(ぐどん)小新発地(こしんぼち)小棚(こだな)の、小下(こした)の、小桶(こおけ)に、こ味噌(こみそ)が、こ有()るぞ、小杓子(こしゃくし)、こ()って、こすくって、こよこせ、おっと合点(がてん)だ、心得(こころえ)たんぼの川崎(かわさき)神奈川(かながわ)程ヶ谷(ほどがや)戸塚(とつか)は、(はし)って行けば、やいとを()りむく、三里(さんり)ばかりか、藤沢(ふじさわ)平塚(ひらつか)大磯(おおいそ)がしや、小磯(こいそ)宿(しゅく)(なな)()きして、早天早々(そうてんそうそう)相州小田原(そうしゅうおだわら)とうちん(こう)(かく)れござらぬ貴賤群衆(きせんぐんじゅ)(はな)のお江戸(えど)(はな)ういろう、あれあの(はな)()てお(こころ)をおやわらぎやという。産子(うぶこ)這子(はうこ)(いた)るまで、この外郎(ういろう)御評判(ごひょうばん)御存(ごぞん)じないとは(もう)されまいまいつぶり、角出(つのだ)せ、棒出(ぼうだ)せ、ぼうぼうまゆに、(うす)(きね)、すりばち、ばちばちぐゎらぐゎらぐゎらと、羽目(はめ)(はず)して今日(こんにち)()でのいずれも(さま)に、()げねばならぬ、()らねばならぬと、(いき)せい()っぱり、東方世界(とうほうせかい)(くすり)元〆(もとじめ)薬師如来(やくしにょらい)照覧(しょうらん)あれと、ホホ(うやま)って、ういろうは、いらっしゃりませぬか。


 いかがだったでしょうか。

 私はこの台詞の中で、「ハマの二つは唇の軽重」という部分を特に面白いと思います。ハは唇が軽く、マは唇が重いということですが、これが発表された1718年当時、ハ行は唇を動かす音だったことがわかります。それも、「軽く」というのだから、今でも日本の一部の方言に残っている、両唇音の「ファ」だったに相違ありません。ひょんなところに日本語の音声に関する証言が隠されているものですね。

 また、この時代もまだ「大晦日」を「おおみそか」でなく「おおつごもり」と言っているのも面白いと思います。私個人としては、「おおみそか」よりも「おおつごもり」の方が理屈の通った名付け方だと思います。「みそか」は“30日”ですが、大晦日は31日だし、陰暦でも月末は必ずしも30日ではありませんから。「おおみそか」の呼び名は江戸時代後半より現れ初めたようです。「大三十日」という表記が俳風柳樽に出ていると、小学館日本国語大辞典にあります。この古来より伝わって来た「おおつごもり」が、いつから「おおみそか」に完全に取って替わられたのか、興味深いところです。

 さて、この台詞、諳んじてしまいませんか。初めは舌の回転もままならない難物ですが、一日に何度かくり返しているうちに、舌も慣れ、2〜3週間ほど過ぎると、部分的に口を突いて出るようになります。そうなったときに、一気に覚えてしまうのです。それから1〜2週間メインテナンスをくり返しせば、あとは、本文を見ないで言えるようになります。

 私は、授業に行くとき、運転中に2度くらいそらんじると、口が滑らかに動くようになって、授業がしやすくなります。いろいろな滑舌の練習はありますが、無味乾燥なものが多く、暗記したいとは思わないものです。しかし、この外郎売りの台詞は、発音もさることながら、内容にも面白みがあるので、諳んじるのも楽しいですよ。まぁ、もともと発音が明瞭な人は、こんなことする必要ないんですけどね。

 *http://ijustat.at.infoseek.co.jp/nihongo/uirou.html →(「外郎売り」で検索してみて下さい。)